ドイツからバルトへ
from Germany to Bartic

[3日目/8月21日]

ベルリン街歩き→ベルリン駅→ワルシャワへ
ワク付きPhotoはクリックで同画面に拡大表示


+ 宿の朝食 +


8時前起床、朝食へ。

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ヨーロッパの典型的な安宿スタイル。



--ダイニングのカーテンの絵柄。

今日は、夜行列車でポーランドへ。
とりあえず荷物を宿に預けて、
ベルリン市内散策に出よう。


--地下鉄で、まずはシャルロッテンブルク宮殿へ向かおう。


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最寄り駅、リチャードワーグナープラッツ駅のようす。


--地上に出る。



--駅から少し歩くと。。。


-シャルロッテンブルク宮殿に到着。



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館内は写真撮影禁止。

やはり豪華で見応えありました。

ガイドによると。。。

初代プロイセン国王フリードリッヒ1世の王妃の夏の別荘だった。
中はとても豪華で、日本の陶器がたくさん置いてある部屋もある。
世界的に有名な王妃ルイーズの肖像画もあり。

また、宮殿本棟の歴史の間であるフリードリヒ1世の部屋は見所たくさん。
特に陶器の間と呼ばれる部屋は中国や日本の陶磁器が壁面に飾られているのも見応えあり。

とのこと


-館内からエントランスを望む。


-博物館ゾーンにはコインの展示



では、裏手の庭園へ行ってみましょう。


-親子が散歩中。-広い。


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--池にはいろいろな鳥がひしめく。


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-ここで、作って来たパンをかじる。


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遥か後方、宮殿を振り返る。



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宮殿沿いの川に出た。


-川の向かいは近代的な住宅ゾーン。


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これは宮殿内の建物。


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ではそろそろ、次の目的地、カイザー・ヴィルヘルム記念教会へ。

地下鉄でツォー駅へ。




+ カイザー・ヴィルヘルム記念教会に到着 +



-痛々しい姿が見えて来た。

ガイドによると。。。

1888年に死去したドイツ皇帝ヴィルヘルム1世を追悼して、
1891年の彼の誕生日3月22日に起工。
コンペが行われ、ネオ・ロマネスク様式デザインが採用された。
尖塔の高さは113m、身廊は2000人以上の座席があった。
1895年9月1日に落成した。当初の教会はロマネスク様式だったが、
1943年11月23日のベルリン大空襲で破壊され、
最低限の修復を施した上で崩れたままの姿で保存されており、ベルリンの空襲の悲惨さを伝えている。
同じ敷地内に1962年、モダニズム建築の新しい教会が完成しており、
現在の教会の機能はこちらが果たしている。

とのこと。


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破壊された内部は資料館。



---こちらは再現?された天井画のゾーン





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ちょっと、2階建てバスに乗ってみましょう。

このバスで、ベルリンの壁へ。


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ベルリンの壁。




+ ベルリン大聖堂へ +



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ベルリン大聖堂の近くに到着。

工事現場をどんどん歩いていくと。。。


-ベルリン大聖堂に到着--

ここも大戦で破壊されたが、修復されている。



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-大聖堂前広場は、賑わっています。
親子たちは最後のヴァカンスを楽しんでいるかな。

このあたりは、かつて王宮があった場所。

ガイドによると。。。

王宮は先の大戦で、破壊されたが、修復可能な状態だった。が、
東ドイツ政府は、帝国主義の象徴であるとし、完全に破壊。
ソ連式の建物を建てた。

とのこと。


- こちらは隣にある旧博物館

大聖堂内部の見学をしたかったのですが、タイムアウト。

あきらめて、街歩きの続きです。


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この塔は何かな。


-ベルリンで一番古いというニコライ教会


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地下鉄で、宿に荷物を取りにいく。
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荷物を引き取り、
夜行列車の出発駅Gesundbrunnen駅へ。


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-Gesundbrunnen駅
駅前のスーパーで夜食を買い出す。


--ワルシャワ行きはこちら。



-買い込んだ食料を食べます。



-夜の帳がおりる。
列車は闇の中を一路東へ。


明日はワルシャワに到着です

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