[8日目-その2]


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+ コトルに到着 +

コトルに到着。
入り口にある大駐車場に車を止める。

まずは城壁に登って、旧市街を一望しよう


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旧市街を囲む城壁の上を歩いていきます-


-旧市街裏山の山頂まで続く城壁-

とりあえずこの山頂まで行ってみよう


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教会の横を通過


-城壁はいったん途切れて。。


--街なかを行きます。



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そして。。。
山頂へは、この路地を登っていくみたいです


-生活感触れる路地の光景


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坂道をどんどん登っていきます


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このあたりが、旧市街の最上部


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ここから先は、
再び城壁を行きます



--どんどん登っていきます

赤茶色をした家々の屋根が美しい。。


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白いお花が群生していますね(^^


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ガイドによると。。。

コトルは、周辺地域の中でも特に古い歴史を持つ。
紀元前3世紀、イリュリア民族が現コトルで Teuta(トイタ)という部落を創立。
次に古代のギリシア人が定住、その後ローマ人が入って来て、このローマ時代に最初の要塞が作られた。

バルカンの大部分はローマ帝国の没落の後に フン族やアワル族などに襲われたが、
コトルはかなり隠されている場所にあるので崩壊を逃れた。
このあと、ビザンチン帝国がコトルを占領、その時にも町は繁栄し、特に軍事上基地として拡張された。
12世紀に入り、コトルはセルビア帝国の中で主な海港都市となり、
同時に文化や宗教の中心にもなった。

15〜18世紀には、コトルはダルマチア海岸全体と同じくベネチアの領域になった。
このとき、オスマン帝国がバルカンを前進してきて、コトルは何回も包囲されたが、
強い城壁と要塞のおかげで一度も侵略されなかった。
トルコ人による脅威にさらされたコトルは堅固な砦をさらに拡張した。

18世紀、ダルマチア全体とコトルは、ハプスブルク家のオーストリア帝国の属州になった。
オーストリア人はコトルを相変わらず基地として使用、付近にある洞窟は潜水艦の港となる。

以上のように、コトルの砦は強すぎて、町は一回も強制的に占領されなかった。
要するに人間による崩壊がなかったのだか、大自然には何度も襲われた。
16世紀、17世紀には地震に遭った。
最後の激震は1979年で、旧市街は大損害が出た。
同年に、ユネスコはコトルの旧市街と砦を「絶滅に瀕している世界文化遺産」に指定、修理が推進された。

とのこと。





+ 教会に到着 +

---中腹に建つ小さな教会に到着


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教会からの眺め。
旧市街は三角形をしている。

ここでしばし景色を見ながら小休止です。



そして、さあ再び頂上目指して歩き出そう。


--教会を振り返る


-おやおや?行く手に何か動物の集団がいますね-
ヤギ?


-階段にデンと座り微動だにしません。。


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みんなの〜んびり。。。


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教会を真下に見ながらどんどん登っていきます


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お花の群生が続く


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こちらは「はぐれ羊」。
はぐれた割には顏がにやけている。何でかな?
「しめしめ、やっとひとりっきりになれた」って感じか。。


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砦の遺構の数々


--確かに守りは強固な感じ。。


-ずいぶん登ってきました。



城壁の最高峰、 San Giovanni:聖ヨハン要塞はもう間近です

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